『百年の孤独』と私

はじめに

大学四年の春、最後のゼミの課題は「なんでもいいから文章を書いて出すこと」だった。中南米文学と酒を愛するうちの教授らしい大雑把だがどこか温かみのある課題を楽しみながらこなしたことを覚えている。

卒業論文でガルシア・マルケスの『百年の孤独』を題材にした僕は以下のような文章を書いた。それを記録として持っていたのでここに再掲する。


ガルシア・マルケスと彼の代表作『百年の孤独』との出会いは、私の高校時代までさかのぼる。高校2年あたりから大阪大学外国語学部への進学を志していた当時、私はスペインや中南米に限らず、広く海外文化への興味を持っていた。そして、それらに対する理解を深めようと、海外の様々な映画や小説、雑誌に触れていた。

当時の私が好んで読んでいたのは主に英語圏の小説で、中でもサマセット・モームの『月と6ペンス』は特にお気に入りで、何度も読み返したことを鮮明に記憶している。その他にも、ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』や『老人と海』、ポール・オースターの『ムーンパレス』、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』なども強く印象に残る作品である。さらには英語圏以外の世界文学への関心から、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』やカフカの『変身』、さらにはアルベール・カミュの『異邦人』やサン=テグジュペリの『夜間飛行』といったドイツ語やフランス語で書かれた小説にも自然と手を伸ばすようになっていった。

そうした読書遍歴をたどる中で、必然的にスペイン語圏の文学作品にも興味が向き始めた私は、インターネットで「スペイン語 小説 名作」などと検索しては、新たな作品との出会いを求めていた。その過程で『百年の孤独』とその著者であるガルシア・マルケスの名前を幾度となく目にすることとなった。様々なウェブサイトや書評から「ラテンアメリカ文学において極めて重要な作家と作品である」という認識は得ていたものの、本の紹介文からでさえ伝わってくる重厚そうな内容と、読者たちの深い解釈を含んだ評価の数々に触れ、高校生だった私は自分が読むにはまだ早いのではないかと感じていた。

ただし、ガルシア・マルケスの世界に興味を持ったことは確かであり、比較的取り組みやすいと思われた『予告された殺人の記録』を手に取り、これは読み通すことができた。この作品を読み終えた時、それまで読んできた作品とはかなり異質な鮮烈さに強く心を揺さぶられた。特に印象的だったのは、その土地に生きる人々の描写だ。マルケスの筆致は、ラテンアメリカの一地域をそのままページの上に移し取ったかのように生々しく、読み進めるうちに、彼らの生活の営みや街の情景が自分の目の前に立ち現れてくるような感覚を覚えた。それは当時の私が抱いていたラテンアメリカのイメージを正確に捉え、まるでその土地の空気や匂いまでもが伝わってくるような描写の力強さだった。その後、大学に入るまで私が彼の他の著作を読むことはなかったのだが、ガルシア・マルケスと『百年の孤独』という作品は、高校生の私にとって、いつか必ず読むべき作品として特別な位置を占めていたのだろう。

大学入学後、私は改めてガルシア・マルケスの作品世界に向き合うことになった。スペイン語専攻の授業を通して、少しずつラテンアメリカ文化・文学を学ぶ機会がある中で、『百年の孤独』が持つ重要性をより深く理解するようになっていった。

特に、2年次に受講したスペイン語圏文化概論の授業では、ラテンアメリカ文学における本作の革新性や、同地域の歴史的・社会的背景との関連性について学び、高校時代には漠然と感じていた作品の重厚さの本質が少しずつ見えてきた気がした。3年に入り、原書での読書に挑戦できるようになると、日本語訳だけでは感じ取れなかったマルケスの文体の特徴や、スペイン語特有のリズムや言い回しが生み出す独特の世界観に触れ、新たな発見の連続だった。

そして3年の後半、卒業論文のテーマを検討する段階で、私は自然と『百年の孤独』に向き合うことを決意した。その中でも、作中で描かれる政治的な権力構造と暴力の表象、およびそれらと実際のコロンビア史との関係性に強い関心を抱き、アウレリャノ大佐の人物像を中心に据えた分析を試みることにした。

原書と日本語訳での精読を重ねる中で、高校時代に感じたあの畏敬の念のような感情を少しずつ解きほぐしていった。テキストやマルケスの経歴などをもとに、この作品に対するこれまで自分が抱いていた感情をなるべく素直に自分の言葉として還元していくという過程を通じて、それらの感情は作品と作者の持つ深い人間社会への洞察とそれを表現する文学的技法の成熟に対する敬意へと変化していった。

最終的になんとか卒業論文を書き終えることができ、改めてガルシア・マルケスと彼の代表作であり、ラテンアメリカ文学のみならず世界文学においても燦然と光輝く金字塔『百年の孤独』という小説を扱えたことに非常に大きな達成感を覚えた。

振り返れば、高校時代に抱いた「まだ早い」という思いは、決して的外れではなかったのかもしれない。むしろ、スペイン語の運用能力と文学的な教養を高校生の時から約5年間かけて積み重ねた上で本格的に取り組んだからこそ、作品の本質により深く迫ることができたように思う。結果として、『百年の孤独』は私の読書遍歴の中で、最も長い時間をかけて向き合った作品となった。


最後に

改めて読み返してみると、高校時代の読書遍歴や大学時代のゼミのことを思い出して懐かしい気持ちになった。高校生でガルシア・マルケスと彼の作品を知ってから、卒業論文を書くまでの間に色々な本を読み、スペイン語とスペイン語圏の文化を学び、彼の出身国であるコロンビアも訪れることができた。そういう体験を通過した上でこの大著に取り組めた。

当時、『百年の孤独』は文庫がまだ出版されておらず、されることもないだろうと言われていた。ゼミでは単行本とペーパーバックの原書で読んでいたのだが、ちょうど論文を書き終えたあたりと前後して、新潮社から文庫本が出たのである。ただの偶然に過ぎないが、自分と『百年の孤独』の関係をやはり意識してしまった。

あれからもう2年近く経つ。時間を見つけて再度読み直してみようと思う。

百年の孤独 (新潮文庫 カ 24-2)ガブリエル・ガルシア=マルケス, 鼓直amazon.co.jp

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